ケチくさい性格を直したい
「そういえば最近外食してない」という事に気がついて、家計簿の記録を見てみました。9月21日にYUKI氏が新潟に遊び来た際に、うどん屋でランチを食べてから1ヶ月半ほど飲食店でご飯を食べてなかったです。
※追記 この記事の草案は3週間ほど前に書いて放置してしました。書き始めた頃はそうでしたが、あまりにも煮詰まったので、先週パターン崩しでマクドナルドを利用しました
最近の外食と自炊を振り返る
ちなみに2023年までは年間で外食&飲み会の費用を28万円も使っていました。2024年は約10万円、2025年は10ヶ月で45000円しか使っていません。2019年以前の東京在住時の外食費用は家計簿の記録が残ってませんが、もっと多くの額を使っていたと思います(特にいきなりステーキ!に通い詰めていた時は)。
2025年も残りは2ヶ月でして、このままのペースでは年間で5万円ぐらいに収まりそうです。ちなみに会社のお付き合い等での飲み会の費用は外食費用には含みませんので、あくまでも自分が日常的に食べる食事としての外食がターゲットです。なお、スーパーやコンビニのお惣菜や弁当、パンなどは含んでいません。
こういう状態が続いていると、一人で行動するときになると「全国チェーン系のご飯屋は飽きたし、コンビニは高いから家から持っていったパンでも囓ろう」ということになりがち。以前は熱心に外出先でご飯屋さんと開拓していまして、その様子はBlogの過去記事を見て貰えば分かると思います。ただ、最近はそういう記事が激減しています。
外食以上に減っているのがコンビニの利用でして、2023年には年間32000円利用していましたが、2024年には8000円と激減しています。今年も同程度に収まるかと思いきや、先日の状況で2食をコンビニで済ませたので1万円ぐらいにアップしそう。大半はコンビニのレギュラーコーヒーの利用です。

やはり外食が減っているのは出かける機会が減っていることともイコールです。自炊が増えると食材のやりくりが発生するので、今日も家で食べねば!という感じが染みついてしまってます。外食に限らず、服や日用品の購入も見送りまくってます。
自炊しても大半の食事は自分で食べて満足しているのですが、上のおからハンバーグは生おからの分量を増やしすぎてボソボソで肉汁も出ません。なので、煮込みハンバークにしてやっと食べられるというようなイマイチなシロモノでした。こういうのがあると自炊もたまに嫌になります。
生来からのケチくささが復活
うちの実家は食料品店でして、私が成人するぐらいまでは人並みに稼げていたようです。しかし、それ以降は商売はイマイチだったので両親は蓄えもなく、私や妹が親に仕送りしたりしていました。特に私がUターンしてからは、私の稼ぎのお陰で、両親の生活が人並みで維持できているのです。
自分は大学生の頃に千葉でひとり暮らしでして、仕送りも少なくアルバイトで生計を立てていました。この頃にケチ根性がしっかり身につきました。しかし、就職してから新潟に移住するまでの約20年の社会人生活では、運にも恵まれて稼げていましたのでケチ根性も少し薄れてました。
このアンバランスな経済状況を経て「気前よくお金を使うんだけど、よく分かんないところでケチ」というパーソナリティーの私が完成します。50を目前にUターン移住してからは、自分で会社を設立したので否応なしにお金に対して非常に勉強させられました。そしてフルリモートワークということもあって、努力すればものすごく節約出来る!と分かったのです。
コロナ以降、色々なモノが物価高騰で高くなりましたが、自分は無頓着にお金を使っていた頃に買ったモノが山ほどありました。それを使い続けたり、当面は不要なものをすぐに売って換金していたので、お金は貯まる一方でした。これが面白くなってきて、2024年からは節約志向がさらに強くなって、生来からのケチ臭さが復活してきたのです。
ケチが続くと生活が駄目になる?
自分は大学時代の終盤に本当にお金がなくて「お金がないと人は駄目になる」と友人に漏らしていたらしく、後年に友達から「あの発言は重みがあった」と回想されるぐらいに切実に聞こえたようです。 このときに事を思い出すと日々の食べ物や固定費の支払いばかりが気になって、本当に余裕がなかったんですよね。無駄遣いをすれば生活が豊かになるわけではないですが、あまりにもケチが過ぎると以下の2つの欠点が目に付きます。
1つが「お金が掛かることを理由に新しい取り組みを諦めてしまう」ことです。自分は好奇心が旺盛で飽きっぽいのですが、これが幸いしまして、様々なことにチャレンジし続けてきた人生でした。自分としては、そのお陰で楽しい人生が送れていると思うのですが、最近はどうにも保守的で現状維持を維持することばかりを考えていて楽しくありません。
「そもそも出かけないで家にいて本でも読んで、家の周囲を自転車で走るだけならお金は全く掛からない」という風に考えるようになってしまいまして、外出そのものを忌避するようになってきてます。それだと煮詰まるから、たまには外出しなきゃダメでしょ?とは思うんですけど、お金が出ていくことにストレスを感じます。
もう1つが「想定よりも余計にお金がかかると、落胆してストレスを受ける」ことです。あっちのお店で買えばもう少し安かったとか、もうちょっと工夫すれば安く新幹線のチケットが買えたとか宿が取れた、とかいうようなことです。わずか数百円とか数千円のことで落ち込みすぎる傾向があります。こっちの欠点の方が、個人的には根が深いと思っています。
スーパーのチラシの割引商品、割引チケット、お得な買い方、ポイ活なんかが自分は好きすぎるのです。というか、お得だから試すか!というところに生きがいを見いだしていたのかもしれません。最近、物価高騰の影響で世の中からお得なモノがどんどん減っていて、それを悲しいと感じているのかもしれません。
なんでこんなことを書いているかというと、JR東日本のえきねっとで12/13(土)の東京出張からの戻りの上越新幹線の切符が、トクだ値という割引価格で取れなかったからです。受付開始の朝5時を10分ぐらい過ぎて申込したんですけどね。ちなみに前日は平日なので6時に申込しても取れました。
使いにくいと文句をいわれつつも「えきねっと」が広く普及してきたのと、JR東日本がおそらく席数を相当に絞っていることもあって、本当にお得な新幹線のチケットは取れなくなりました。とはいえ、正規料金との差は3000円しかないんです。もう取れなかったものは仕方ないとして、3000円あれば何が出来た?というような意味のないマイナス思考を止めたいです。
バランスを取るのが非常に難しい
景気良くお金を使えば、このモヤモヤも解決するか?といえば、貯蓄できないことで別のモヤモヤが発生するでしょう。お金が貯まることも楽しみの一つですし、もう老後が見えてきている身としては「もうひと頑張りすれば、老後に楽が出来る」というモチベーションもあります。大学時代の極貧生活を思い出すと、もうお金のやりくりで四苦八苦する惨めな思いはしたくないのです。
景気良くApple製品を買い替えたりしてるじゃん?と言われればそうなのですが、仕事で必要なものとか、伯母の相続放棄に手続きや家の外構工事で掛かったものとかは、額が大きくても受け入れられるんです。これらは自分の趣味や生活と関係無く、どうしようもない支出として諦められるからです。
クオカードの残額69円を使い切りたいのでわざわさコンビニを利用するとか、セール品を買いだめするのに車でスーパーをハシゴするとかいうケチくさい行動を止めたいんです。そんなところに時間を掛けても、費用対効果が良くないじゃん!っていう話なんです。
コストパフォーマンスとかタイムパフォーマンスとかいう言葉は、お金や時間に余裕がないから気になるのでしょう。自分はUターン移住で時間には余裕が出ましたので、タイムパフォーマンスは気にならなくなりましたが、贅沢なことに、お金にはもっと余裕が欲しいのです。
とはいえ「何ごともバランスだよ」とか言い出すと正論過ぎて、ぐうの音も出ません。バランスの天秤の片方には自分の興味や好奇心、もう片方には貯蓄したいという気持ちが乗っています。以前の自分は、趣味にお金に糸目はつけないという振り切った考え方でして、楽しかったけどお金はあまり貯まりませんでした。今はその逆で、お金は貯まるけど生活が以前ほど楽しくありません。
私は天秤を丁度良いところでバランスさせておく、というのが非常に苦手です。こうやってモヤモヤと悩むということがバランスを取っている行為なのだと思いますが、いつまでこういうのが続くのかな?と、恐らくは一生続くのでしょう。
なんとも結論のない話で申し訳ありません。
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冬に備えた生活パターン崩しとトレーニング用品
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