淡々と生活しているだけではダメなこともある





夏休み期間ですが、片付けないといけない仕事があって12日と13日は仕事していました。仕事をしたかったので、13日に両親を連れての墓参りは弟一家にお願いしました。これには本当に助かりまして、弟には素直に感謝しかありません。

母親の衰えが顕著になってきた

自分が新潟に移住して5年が経過し、父は89歳、母は83歳となりました。父は昔から何もしない人で自分勝手なので、移住時から変わらず今も喧嘩ばかりしています。ただし、今年になって母の衰えが顕著になってきました。

先日、コストコの補聴器センターに母を連れていって調整してもらったのですが、10ヶ月ぶりにうちの母に会った補聴器センターの担当の方が「お母様、かなりお痩せになられましたね」と心配そうに仰ってました。

耳の状態はあまり変わってなかったのですが、最近、母と会話が成立しないことが増えてきました。膝が悪くて長時間歩けない以外は健康なのですが、以前より体力が落ちた、食が細くなりました。外出が減ると将来的に認知症にならないか?という不安がよぎります。

遠方に済んでいる妹が、母にたまに電話をしているのですが「母は大丈夫か?」と心配そうにLINEを私に送ってきます。やはり電話越しでも、母が衰えてきているのが明らかに分かるようです。

正直、父より先に母が亡くなったりしたら、自分の今の生活は一変することでしょう。ただでさえ今の両親が住んでいる家とガラクタが入った倉庫の後始末で頭が痛いのに、最低の年金しか貰っておらずに生活周りのことが一切出来ない父を私が支えないといけないのか?と考えると暗くなってしまいます。

起きてもいないことを悩んでも仕方ないですし、両親が考えや生活を変えることは年齢を考えるともう無理なので、自分が今できることは働いてお金を貯めておくことだけです。そのプレッシャーがあって長期の休みは取りにくく、疲弊しているなぁ、と感じてしまっています。

ほんと地獄の沙汰も金次第とはよく言ったもので、お金があれば大抵の悩みは片付くので、稼げるうちに稼ごうと思ってしまうんですよね。

雨の合間の気晴らしは自転車

日中に家にいても、両親がいるために気晴らしにならなので、休みは出かけるか寝室に籠もってます。出かけるならやはりロードバイクが一番の気分転換になります。

酷暑だった7月に比べると、8月に入って雨の日が続いてからの日中は少し涼しくなりました。こういう時はロードバイクで走っていると、色々と考えや悩みがすっきりするのです。

ロードスターをオープンにして走りに行くのも気晴らしになるかな?と思うこともあるのですが、ダイエット中の身としてはロードバイクの方がカロリーも消費出来るし、気軽に出かけやすいのです。ガソリン代もかからないですしね。

8月に入ってからも2日に1日のペースで2時間は走っています。久しぶりの阿賀野川頭首工の上で風に吹かれてきました。やはり水辺の上は涼しいですね。

夜明けはだんだん遅くなってきて、5時ぐらいにならないと空が明るくならないです。21時に寝て、4時半に起きて支度して、2時間走って7時に帰ってくるというパターンは継続しています。

もっと日が短くなってきたら、平日の朝に2時間走るというような時間の使い方は出来なくなります。9月からは、平日は1時間で走りきれるコースを高強度で走る、という朝練にに切り替えることになるでしょう。

綺麗な景色を見て、骨伝導ヘッドフォンで「ジェーン・スーの生活は踊る」などのポッドキャスト配信を聴きながら、だらだらと走っています。ここでも考えることは、仕事、生活、両親のことなど悩みはつきません。




今の仕事もいろいろと悩ましいところはありまして、このまま続けていていいんだろうか?と正直悩みます。仕事が順調でないとお金にも困りますし、お金に困るとそれに派生しての悩みが深くなります。

最近、メンタル的に疲れているなぁ、と自分でも感じています。親の介護、仕事の将来、老後の貯蓄みたいな、いま悩んでも仕方ないことが気になるようになったら、確実にメンタルがやられてきている兆候です。

こういう時は同じことを淡々と繰り返していると、どこかで閾値を超えてしまってクラッシュしてしまうんですよね。淡々と時が過ぎるのを待つのではなく、ガラっと何かを変えてみたほうが自分の場合はよい結果が出ています。

それが何なのか?と言われると、いま思い浮かぶわけではありませんが、意図的に現在の生活パターンは崩してみようと思います。

過去の自分のパターンを掘り起こしてみる

最近は全然外食しなくなっていたのですが、自炊熱もあまり高まっていないので、外食やら飲みに行く機会を増やしてます。

先日は整体の帰りに久しぶりに「やなぎ亭」でみそラーメン定食を頼んでみました。美味しかったけど、なんか気づきがあったか?というと微妙で、逆に行ったことのない店を開拓した方がいいかもしれない。

飲みに行くのは意図的に増やしていますが、やはり阿賀野市だと1人でフラっと飲むようなお店を知らないです。なんか開拓してみるのもパターン崩しにはなりそう。週末に電車やバスで新潟市街に出て飲む、というのは結構やってます(スマホ触らないようにしているので写真無し)。

最近は飲みに行くのに人を誘ったり、調整したりするのが面倒に感じてます。逆に、お誘いはあまり断らないようにしたいです(誘う側の大変さがよく分かるので)

外食以外でも、不要品を手放す作業をずーっと放置してます。使ってないキーボードやPCパーツ、読み終えた書籍などを売却しようと思うのですが、面倒で手がつきません。明らかにメンタル的に疲れている兆候です。

図書館から本を借りるのは、どうしても読みたいものに絞る

今、阿賀野市図書館から8冊、新潟市の図書館から3冊の本を借りてます。このお盆休み中に読む予定で借りてきたのですが、これを消化するのに追われてます。

阿賀野市図書館で人気の作家といえば、原田ひ香さんでして、蔵書はだいたい借りて読みました。ただ、この「DRY」という書き下ろし小説は未読だったので、サクっと借りてきて1日にで読みました。

自分が読んできた原田ひ香さんのグルメ系の作品、ほのぼのとした日常系のお金にまつわる話とはガラリと違った内容で驚きました。他の作家さんの本か?というぐらいに暗く、重く、救いのない話でした。

特に親の介護問題が気になっている自分からすると、主人公と、その親と祖母、幼なじみの境遇があまりにも悲惨でした。私が置かれている状況などと比べると、登場人物達の状況は私とは比較にならないほど悲惨で酷く、救いがありません。

メンタルが通常時であれば「(自分は)ここまで悲惨な状態ではないのだから」と自分の日常を客観視することができるのですが、今のようなメンタル状態で読むと小説の内容に引きずられてしまって辛くなりました。

あまりにも衝撃的な内容だったので最後まで読んだのですが、自分は原田ひ香さんの作品にそういうのは求めてないかな。読後感は村田沙耶香の作品を読んだ時のような感じで、読んでいる時も「村田沙耶香っぽいな~」と思いながら読んでました。

これで借りてきた本11冊のうち、5冊は読み終えました。残りの6冊は気になる小説だけ通読して、情報系の本はパラパラと流し読みしてさっさと返却しようと思います。そして一旦、全部を返却したらしばらく図書館で本借りるのを止めようかと。これもパターン崩しの一環です。

どうも本借りてくると「読み終えずに返すなんて!」という強迫観念に取り憑かれているのも、メンタル弱っている証拠ですから。