2020年1月から年末までを一気に振り返る

かなり久しぶりの更新になりました。前回の更新が2020年1月ですから、1年ちょっとぶりの更新となります。

Blogを放置している間に、コロナ禍でこれまでの常識や価値観が大きく変化しました。自分自身も2019年の終盤から現在にかけてライフスタイルを大きく変えたため、その関係でとてもあわただしかったです。自転車など趣味に関係ない話になりますが、振り返りと整理もかねて時系列で追ってみましょう。

2019年11月 新潟で仕事をする可能性を模索する

2019年の4月に新潟の家の建て替えが完了し、それから月に2回は東京から新潟に戻る暮らしをしておりました。お盆休みなどの長期の休みを新潟で過ごすようになり「新潟を中心とした生活に移行したい」という望みを持つようになってきました。コロナ禍の現在であればリモートワーク可能な会社の選択肢も多くなったでしょうが、コロナ以前では地方からのリモートワークを認めてくれる会社は多くなかったです。

新潟に拠点を移動したければ、新潟の企業への転職が一番手っ取り早いです。しかし、給与面での待遇の違いは大きいです。結局、仕事は東京で続けることにして、如何に週末に新潟で多く過ごすか?という生活スタイルを模索することになりました。東京を拠点にして仕事をするとなると、東京-新潟を移動する交通費と東京の賃貸マンションの家賃や公共料金がかかります。新幹線等で移動するとコスト高ですし、東京と新潟の2拠点間の荷物移動ができません。

そんなわけで新潟の家と東京の拠点を効率よく移動するために、自家用車を調達することにします。車なら移動時間も自由だし、荷物もたくさん移動できます。東京の家は狭いこともあって、今すぐ使わないものは新潟の家においておけるので部屋が広く使えます。しかし武蔵小山の家の周辺の駐車場の相場は3万円越えが当たり前です。そもそもマイカーを調達しないといけませんから、月々の固定費はかなりアップしそうです。

そんな理由から住居が安くて勝手知ったる我孫子に引っ越そうかな?と少し検討したのでした。我孫子なら駐車場は安いし家賃も下がります。でも、通勤時間は現在よりもかなり増えるわけで、1か月ほど賃貸物件を見てましたが結果から言うとピンとくる物件がなくて、我孫子への引っ越しはトーンダウンです。

この辺の話はBlogの更新を停止する直前にも色々と書いておりましたが、かなり間が開いてしまったので改めて書きました。

2019年12月 会社を退職して独立を決意する

当時勤めていた会社では、家庭の事情で在宅勤務や地方からリモートワークをしていた人がチラホラいました。自分もそういう勤務体系にできないか?と上司に相談してみました。しかし、原則としては東京のオフィスに出社が必要で、在宅勤務はやむを得ない場合のみ実施という回答が人事からありました。

勤務している会社からハッキリとダメ出しされたのでスッキリしました。これで会社は退職するつもりで転職活動を開始します。過去の知己を当たってみると、それなりの条件で転職できそうな会社も見つかりました。年収が今よりも増えること、月に1回の新潟戻りの交通費を出すことも検討するという、という破格の条件でした。

もう一つの選択肢としてあったのが独立してフリーランスでやっていくという事です。この前提で営業活動をしたら、12月中にあっさりと仕事にありつけました。いろいろとタイミングが良かったですね。

転職および独立のメドが立ちましたから、12月上旬には所属していた会社に退職の意を伝えます。いろいろと調整して2020年の1月末の退職と決まりました。皮肉なことにコロナ禍の現在、自分が退職した会社は原則在宅勤務になったそうです。ひょっとしたら辞めずに済んだかもしれないですがこれも巡り合わせです。

ここで会社員として転職するか、フリーランスでやっていくか?の決断を迫られることになりました。個人事業主をやっている知り合いにいろいろと話を聞いたり、実際に仕事の斡旋と仲介をしてくれている友達に相談しましたが、やはり東京と新潟の移動を仕事上の経費にできるのでフリーランスの方がメリットは大きそうです。

しかし、独立して仕事がなくなったら何も保証がありません。結構な年齢ですから、会社員という立場に安定を求めたくなる気持ちもあります。これまでだって山あり谷ありな人生だったのですが、幸い仕事を失うことなく社会人を続けてこれました。もうちょっと自分を信じてみるか!と思い、フリーランスでやっていく決断をしました。

会社員としてよい条件でオファーしてくれた会社には申し訳ないですがお断りをして、2月から独立して仕事ができるように準備を進めることにしました。

2020年1月 会社を設立

1月末で現在勤めている会社を退職するので、1月の有給消化中にフリーランスでやっていくための準備をします。個人事業主でやっていくか、法人化するか?で少し悩みましたが、東京と新潟を仕事で行き来するという事情から、法人化した方が都合はよさそうです。

新潟で起業のお手伝いをしている知り合いがいたので、新潟の司法書士事務所および税理事務所を紹介して貰いました。これで1月中に株式会社を新潟で登記しました。1月末に前の会社を無事に退職し、2月から独立して仕事をしていくことになります。現場は新橋ですし、まぁ、お仕事的にも過去の知り合いが多くいる現場なので、あまり不安はないです。

このタイミングでスタッフ活動をしていたブルベ団体のランドヌ東京のスタッフを引退しました。拠点が新潟になること、これから多忙になってボランティア活動を続けることは無理だと判断したからです。この後、コロナの影響でスタッフの方々は大変だったかと思いますが、自分はもう引退していたのでどういった苦労があったのか?は分かりません。

2020年2月 再びマイカーを手に入れました

2月に入って自分で設立した会社の仕事がスタートします。武蔵小山の賃貸から都心に週5で通勤するので、会社員時代と仕事の感じはほとんど変わりません。

むしろ週末に東京から新潟への移動で頭を悩ませます。新幹線での移動は2時間ですが、その前後の移動時間がを考えると4時間は見ておく必要があります。さらに公共交通機関では荷物の移動もままなりません。せっかくの二拠点生活なのですから、例えば衣替えした衣類は新潟に持っていって、武蔵小山の部屋を広く使いたいです。

月に2回ほどの新潟戻りでの移動は自家用車が最適です。燃費がよく高速での移動が楽な車を調達しようということで、マツダのアクセラのディーゼルエンジンの車の中古を新潟の車屋さんで探してもらっていました。

そして2月末に無事納車にされました。これで新潟と東京の移動も楽になるぞ!と喜んでいたのですが、折しもコロナウイルスの流行が徐々に広がってきたものの、まだまだ危機感はなく普段通りの暮らしが続いていました。正直、このタイミングで車を入手していたことがコロナ禍においては非常に助かりましたよ。

2020年3月 忍び寄るコロナの足音

車が納車された時の車庫証明は新潟の家で取ったのですが、困ったことに東京の家の月極駐車場が見つかりません。2月ぐらいには冗談で武蔵小山周辺で車庫借りて登録したら憧れの品川ナンバー!とか盛り上がっていたのですが、コロナ禍においては新潟ナンバーにしておいて本当に良かったと思います。

武蔵小山の相場では月極駐車場は3万円なのですが、全然空きがありません。新潟で車庫証明取るんだし会社も新潟で作ったので住民票を新潟に移しました。しばらくは、東京の家の周囲にあるコインパーキングや駐車場シェアのサービスを利用していましたが、3月の上旬に家から徒歩10分ほど場所に月額16500円で機械式のパーキングが見つかって一安心。この駐車場探しにまつわる話は今度別のネタとして更新しようかと思います。

3月は後半になってコロナが本格的に猛威を奮うまでは、仕事も順調、週末は車でドライブ気分で新潟に移動して遊んでました。金曜日の夜に仕事終わったら、準備して車で4〜5時間のドライブで深夜には新潟の家に着いていました。不用品は新潟に持っていけるし、かなり理想の二拠点生活が実現できていい暮らしだな、と自画自賛していました。

3月の連休には田村編集長とトシさんをお連れして、ウチの庭でプラモを組み立てて肉を焼くという謎な集まりも出来ました。このときは残念ながら粟島行きのフェリーが強風で欠航でキャンプに行けず。コロナがなければ首都圏の知り合いをつれて、新潟の良さを布教しようと思ったのですが…

で、3月の連休最終日に2人を乗せて東京に戻ってて池袋で解散し、その後山手通りを車で走ると桜の見物客で一杯です。流石にこれはちょっとヤバいんじゃないの?と思ったのですが、案の定、ここを契機にコロナ陽性者が多発しました。東京から地方への移動は自粛ムードとなったわけです。ここから4月の緊急事態宣言が発令し、解除されるまで新潟には一度も戻れなくなるとは思いませんでした。

2020年4〜5月 東京にカンヅメ

4月に入って政府から緊急事態宣言が発令されました。仕事もいきなり在宅勤務に切り替えになりまして、武蔵小山の家でテレワークするという日々が5月中旬まで続きます。

このときは本当にしんどかった。テレワークでの仕事は問題なかったのですが、毎週新潟に戻る事を大前提にして生活していたので春物の洋服が新潟に置きっぱなしだったりみたいな不便もありましたが、新潟への移動が出来ないというのは単純にストレスでした。

ずーっと家にいますから、食料品の買い出しなどは深刻でして、武蔵小山ではスーパーやドラッグストアから品物が消えてしまいました。最近、車で新潟で戻って色々と買い出ししていたので、武蔵小山周辺のスーパーやドラッグストアは人も多くて品物もなくみんなイライラしています。本当に不快&不安な日々でした。




救いは車があったことです。車でコストコに買い出しに行くのが唯一の気晴らしでした。コストコまでは車移動ですし、時間を選べば近所のスーパーよりも遥かに空いていて品物も安定して購入できました。またマスクも運良くコストコに入荷したタイミングで購入できましたし、この時期はコストコ川崎倉庫店に本当に救われました。

緊急事態宣言が解除された後、どうしても衣替えの必要があって新潟に車で一度だけ戻りましたが、両親がいない時間を狙って衣替えの作業の30分だけで東京に戻るという強行軍でした。車が新潟ナンバーだったのも救いでした。

2020年6月 新潟からテレワーク

6月に入ってコロナ陽性者の発生も少し落ち着いてきました。5月末まで完全テレワークだった仕事場ですが、6月からは半分ぐらいは出社という方針になりました。

いずれは新潟の拠点から東京の仕事をテレワークしてみたい!という野望を持っていた自分としては、6月はそれを実行してみるチャンスでもあります。世間の雰囲気的には、まだまだ東京からの移動は憚られる空気でしたが、週の半分を新潟に戻ってテレワークしてみました。

週の真ん中は武蔵小山に戻って電車通勤で出社して仕事をします。木曜日の夜に新潟に車で移動し、月曜日の在宅勤務が終わったら車で東京に戻ってくるという暮らしを1ヶ月してみました。この頃の関越道の車の少なさは不気味でとても印象深かったです。

20時ぐらいに品川を出ると0時を過ぎたあたりに高速を降りてETC深夜割引を有効になるので、1時前には家について7時間ほど寝たら在宅勤務です。月曜日の在宅勤務が終わったら品川に戻る準備をして18時半ぐらいに新潟を出ると、23時前には品川に着きます。翌日は普通に電車通勤で新橋に出てお仕事です。これを1ヶ月繰り返しました。

新潟の家からの在宅勤務は快適の一言。光回線を引いていたのでネットワークはOKですし、6月でもエアコンなしでも仕事ができる涼しさです。両親は1Fのリビングにずーっといるので、2Fで集中して仕事出来ました。通販で買ったものは全て新潟の家に届くようにしていましたが、両親が日中受け取ってくれるため、一人暮らしの大きな問題だった荷物の受け取り問題から開放されました。

やはり人口密度の低さもあって、東京で味わうような息苦しさがありません。新潟の家は町中にあるので徒歩で銀行、コンビニ、郵便局、食堂が利用出来ますし、散歩にも最適な水辺も近くにあります。

家から2km圏内にスーパー、ホームセンター、100円ショップなども揃っていますから、武蔵小山の家よりもよっぽどお買い物については充実してましたね。なによりも人が少なくて朝の散歩ぐらいであればマスクしなくてもいい。夏場のマスクは眼鏡をしていると非常にストレスでした。時期的にも初夏は新潟が東京より快適な時期でした。

2020年7〜8月 二拠点生活を捨てて新潟に完全引っ越し

7月になり仕事場が原則出勤となりました。テレワークできる仕事ではありますが、コロナも落ち着いてきていたこともあって受け入れざるをえませんでした。平日は普通に武蔵小山の家にいて電車通勤で新橋に出て仕事をします。

正直、このころは東京に週末居てもイベントもライブもないので、毎週のように新潟に戻っていました。5月のJUNNA様の中野サンプラザのライブが中止になったのは本当にショック(ファンクラブ先行で最前列のチケットが取れていた)でした。やはり東京の良さというのは人口が密集していることによるイベントなどの文化的な催しが多いところで、それがコロナで根こそぎ中止になっている現状は非常にしんどい。

コロナ以前では「新潟でのんびりしたいのも分かるが、東京に出てきて仕事しているんだから東京もいいところあるぜ」と自分に言い聞かせていたんですが、自分にとって東京の良いところが全部失われてしまっています。お盆休みなどもどうせ新潟に長期滞在するでしょうから、東京で部屋を借りて住んでいることが馬鹿馬鹿しくなってきたのです。

毎週のように新潟に車でもどっているし、東京の部屋や駐車場の家賃や光熱費や通信費などの固定費を考えると、新幹線+ホテル暮らしで東京の仕事をしてもペイするんじゃないか?とソロバンを弾きました。コロナの影響で東京のビジネスホテルの値段は非常に安くなっていたのです。一昔前なら海外からのインバウンド需要で1泊1万円近かったですが、今や半額以下です。

よろしい、ならば引っ越しだ!

7月の中旬には決意して、武蔵小山の家を8月末で退去することを決意しました。かなり気に入っている物件でしたが、今の自分のライフスタイルとは合わなくなってきましたね。

東京から新潟の引っ越しはかなり費用が掛かりそうでしたので、小さな物は先に車でチマチマと新潟に運びます。大物家具と段ボール10個ぐらいだけ運ぶということで引っ越し業者の見積をとって、土曜日の午後便で12万強という費用で契約します。土曜日の午後から家具を搬出して引っ越し業者は翌朝に新潟の家に搬入して貰うことになりました。

8月の最終週の暑い日でしたが、荷物の搬出が無事に終わったら部屋を清掃して不動産業者の立ち会いが夕方には終了。車に色々と積んで、新潟に向けて出発です。武蔵小山の家には6年近く住んだのかな? 多分、Blogの日記をあさると引っ越しについても日記が残っていると思うけど割愛します。

さらば東京!ってな事でいつもうんざりしていた環八の渋滞を越えて関越道で新潟に向かったのでした。購入したアクセラはこの半年で1万5000kmほど走ってくれました。

日曜日の朝から東京の荷物を搬入します。冷蔵庫やスピーカー、ソファーベッドなどの大物が沢山ありましたが、一軒家には余裕の収納量でした。1時間ほど搬入が完了して、8月末に新潟に完全に移住となりました。9月から平日ホテル泊まりの東京出張となります。

余談ですが、ずーっと乗っていて実家においてあったレガシィランカスター(平成11年車)は流石に限界を迎えたので、8月の車検前に廃車にしました。代わりに買ったのが中古のスズキ ソリオ。新規に車検を取ってもらって、込み込みでこちらでお願いした値段で調達してもらってシエロさんにはいつもお世話になっています。

このソリオ、お買い物カーとして最高に便利です。非常に気に入っているのですが、詳細はまた今度ということで。

2020年9月 平日ホテル泊まりの東京出張

9月からはまた生活が激変します。平日だけ東京に出張して仕事するという生活になります。コロナの影響もあって新幹線もホテルも大きく値下がりしているので、部屋を借りているよりも安上がりです。

気になる移動時間ですが、新潟駅前の駐車場を9月から借りました。月曜日の朝6時に車で家を出て、新潟駅から新幹線に乗ったら9時には東京に到着します。ホテルは新橋の現場の徒歩圏内に取るので、毎日の通勤時間は10分ほど。18時に職場を出て、すぐにホテルに帰ってプライベートタイムとなります。

いろいろなビジネスホテルに泊まれるのも楽しいし、周囲は新橋&銀座なのでご飯を食べるところにも困りません。金曜日は仕事が終わったら18時過ぎの新幹線で新潟に戻ると、20時過ぎに新潟駅に到着するので、そこから車で家に帰ると21時には新潟の家です。

車で戻っていたころは金曜日に帰宅して、19時すぎに品川の家を出て、日付が変わるぐらいにやっと新潟の家でしたから、それに比較すると3時間は早く新潟に帰れます。しかも21年3月末までは、早めにチケットを取れば50%OFFという切符をJR東日本が提供してくれています。ホテルの相場も海外の旅行客が回復するまで時間は掛かると思うので、ホテル暮らしに切り替えたのは我ながらイイ決断だったな、と思いました。

ここまでの結論

2020年は2月に独立、8月末に新潟に完全移住、というのが大きなトピックでした。車も2台も買っちゃいましたし。結果論ですが、ほんのわずかでもタイミングがズレていたらコロナ禍の状況においては,全然違うライフスタイルになっていたかもしれません。

しかし、自分は独立して良かったな、と思います。ここまでドラスティックに生活を変えることが出来たのは、会社員じゃなかったからということに尽きます。ある意味、ここ数年もんもんとしていた新潟へ戻りたい!という夢を叶えることができちゃった、というのは大きいです。

2020年は年末までこのライフスタイルが続きまして、年明けからは二度目の緊急事態宣言後が出るわけですが、それはまた別に記事にしたいと思います。自転車は秋ぐらいからあんまり乗れてませんし、色々と語れていないことも多数あります。



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