メモ書きする生活

  • 2024 年 7 月 10 日
  • 日記
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7/10(水)の朝は雨の新潟です。非常に涼しくて、窓を開けているとTシャツ一枚では肌寒いぐらいです。湿度は80%に近いのですが、室内の気温が25度ぐらいならエアコンは要りません。ちなみに昨日は仕事後に床屋さんに行ってサッパリしてきたので、余計に涼しく感じております。

Blogのネタにメモを取る

毎日のようにBlogを更新しているのですが、そのネタをメモ帳に書き留めるようになりました。

RODIAのA7のメモ帳を携帯して、思いつくことがあったらサッと殴り書きしてます。オレンジの表紙のRODIAはマス目の罫線の色が濃いので字と重なって見にくいので、罫線の色が薄い白い表紙のRODIAが好みです。このメモ帳にネタが色々と書いてあるんですが、1本の記事にするまでもないような小ネタも沢山あります。

今日はそれらの小ネタの中から、4つのネタをピックアップして消化することにします。

紙の本や紙の辞典、手書きに対する憧れがある

最初のメモはこれ。電子書籍の方が安くて読みやすくて場所も取らないのですが、つい紙の本が欲しくなってしまうのは何故か?というメモです。

あと辞典なんかも電子版の方が圧倒的に調べるのが早いし嵩張らないのです。にも関わらず、大して使わない紙の辞典を買ってしまいます。分厚い広辞苑の最新の第7版もありますが、めくりにくいので滅多に使いません。あと思考を整理するために手書きをすることにも、何故か惹かれてしまいます。

私のような年代だと、若い頃にはスマホが今のように実用的ではなかったので、記録は紙のノートや手帳に書いていたのです。頭の回転が早くて集中力があったあの頃を懐かしく思って、やっぱり手書きだよぁ、という憧れを持つのかな?と思っています。

正直、メモを書く、あとで見るという行為そのものは、スマホに入力しても紙に書いても差はないと自分は思います。しかし、何故か紙に書くという行為は楽しいのです。本も物理的に存在するものを所有する事に満足感を覚えてしまいます。若い時からスマホやタブレットが身近にある世代では、これをどう感じるのでしょうか?

1行のメモから自分の考えをまとめてみましたが、イマイチですね。メモは書いた時にはそのアイディアが有用かどうか?は判断できないので、手当たり次第に書いてます。やはり珠玉混同になっちゃうので、つまらない物は忘却の方に押しやる勇気も必要ですね。

人との付き合い方が都会人は上手である

田舎の人間関係が息苦しいのに対して、都会に若者が惹かれるのは何故なのだろう?と考えていたときに思いついたのでメモりました。

都市部は地方出身者が集まっています。それなりに行動的で積極的な人でないと、地方を離れようという考えには至らないでしょう。そして人口の多さと流動性の高さから、都市部では人付き合いの経験値がどんどんと貯まっていきます。色々な人との出会いから人の多様性を学んで、自分の中の常識と偏見をアップデートしていきます。そういう機会が多いことから、都会人は河原の石の角が取れて丸くなるように、柔らかな人付き合いが上手になっていくように思います。

これは若くて活力的、考えが凝り固まってない時期でないと磨かれないスキルです。自分は年老いてから人付き合いが上手になった人、というのを見たことがありません。社交的な人は若いうちに経験を積んで研鑽しているから社交的なのです。地方ではこういう機会の少なさから、人との距離の取り方が下手な人が一定数います。自分はあった人の振る舞いを見て「この人は都会的だな」と感じることが多いです。

ここまで書いてみて、自分は「人付き合いが上手いこと」を上等な都会的な価値観で物事を判断していることに気がつきました。仕事上はコミュニケーションが上手いことはプラスですが、人生においては社交的じゃなくても幸せな人は一杯います。ネットもTVも都会的な価値観を押しつけてくる傾向があって、余計に地方は嫌だ!と思う若者が増えているように思います。

自分は年老いてから地方に移住したわけですが、地方に住んでみると都会的な価値観が人生において絶対ではないという事に気がつきました。メモったときは単に思ったことを書いただけの内容だったのですが、こうやって文章化することで、その裏で自分がどんな風に思っていたか?を整理することが出来ました。

リビングに親が当たり前のように居座っている不快さとは

これはBlogにも一度書きましたし、同意であるというコメントも頂いた内容です。元々は先日紹介した「孤独こそ最高の老後」という本の中にも書かれていた内容です。

老々介護みたいな年齢での話ですが、両親を支えるために働いている子供が疲れて家に帰ってきた時、リビングで両親が寛いでいるのを見てイラっとする、というような話がこの本に書いてました。既に現役を引退している年齢の両親というのは、どこの家でもリビングにどっかりと居座ってTVを見て日頃暮らしているのが当たり前なのでしょう。でも、その生活を経済的に支えているのが当人ではないのですから、少しは家主である自分に敬意を払って欲しいと思ってしまいます。

我が家の場合、父はあまりにも無神経でして、私が大事にしている革のソファーにパンツ一丁で横になって大型TVをつけっぱなし、食べ物のクズで汚しても掃除もしません。母親は常識的に使ってくれますが、それでも日中は私が苦手な韓国ドラマなどをリビングで見ています。我が家の場合、両親がいるのは日中だけなのが救いですが、それでも休みの日に自分がリビングで寛ぎたくても、そこに両親がどっかりと居座っているというのはストレスなのです。

父親は流石に我慢ならなかったので、リビングの続き部屋の畳の仏間にもTVを設置して、そこで過ごせるようにしました。母親については常識的な範囲でリビングを使ってくれているので、文句は一切言ってません。むしろ最近まで母親がリビングに居座っていることにモヤモヤはしていましたが、その理由が分かっていませんでした。この気持ちに気づいたのは「親がリビングに居座っていることにもストレスを感じる人が自分以外にもいる」という事を知ったからでした。

自分は平日も在宅勤務で家にいますが、朝8時ぐらいから19時ぐらいまでのリビングは親に明け渡し、自分は2Fの仕事部屋と寝室に籠もっています。平日はその時間は仕事しているので不満はありません。しかし、仕事してない年寄りは曜日の概念が希薄なので、私が休み日でも同じように振る舞います。なので、休日の日中にリビングで自分が本を読んだり、音楽を聴いたて寛ぐことが出来ないのです。

今の家は私が全額お金を出して建てたのですが、一番風呂は父で私が一番最後です。別に一番風呂に入りたいわけではないですが、それが当たり前にように振る舞われることにイラっとします。ただ、そんな事でモヤモヤするなんて人間としての器が小さいのだろうか?と考えていました。しかし、同じように感じる人が他にもいることを知って気持ちが楽になりました。

これも本音と表に出すことで気づきが得られた内容です。Blogではある程度、本音をさらけ出すことが重要ですね。SNSと違って拡散されることも稀ですから、自由に書けます。

TV東京が見られなくても困らない

絶対にメモしておかないと忘れそうな気づきのメモです。メモを見直してみると、東京と地方の比較で思ったことをメモしていることが多いんです。

若い時から首都圏で暮らした理由の一つが、TV東京の存在でした。新潟は未だにTV東京をネットする局がないので、TV東京の番組は有名なものだけが本来の時間と違う時間に遅れて放送されています(なんでも鑑定団とか)。しかし、アニメやドラマや深夜番組などは、TV東京のネット局でしか見られません。遅れてBSテレビ東京というBS局で放送されることも多いのですが、こまめにチェックしないと見逃します。TV東京の番組が好きだったころ、それが見れないことは新潟への移住の大きなデメリット感じていたのです。

TV東京が見れない新潟に完全移住して、この8月で丸5年が経過します。最初のうちは「孤独のグルメ」の最新シーズンや「ワールドビジネスマンサテライト」が見れない、などの不満はありました。しかし、今やアニメに関しては殆どがネット配信されますし、衛星放送で遅れて見れるようになってきてます。

たまにネットで話題になっている番組があって、それがTV東京の番組のためにすぐに見れない、ということもありました。しかし移住して数年が経過するようになると、そもそもTV番組を見なくなりました。東京周辺の情報が中心のTV番組を見てもつまらない、と思う事が増えたのです。「孤独のグルメ」はたまに地方のお店も取り上げますが、やっぱり首都圏のお店が中心で個人的にシラけて見なくなりました。

かつては「TV東京が見れないのは寂しすぎる」と本気で思っていたのですが、現在は見れない事に全く不満はありません。アニメやドラマもすっかり見なくなってしまいました。今考えるとつまらない拘りだったな、と思います。人間は現状を維持するために、変化したくない理由というのをいくらでも思いつくものだな、という良い例だと思ってメモしたのでした。

メモったものを選抜して書き留めておくか?

こうやって過去のメモを見直してみても、ここには取り上げなかったどうでもいいメモも沢山あります。しかし、これはずーっと残しておきたいな、と思うような冴えた考えも稀にあります。Blogの記事として消化するのもよいでしょうし、別なノートにそれだけを書き写しておくのも良いでしょうね。

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