Xのアカウントを削除しました

  • 2024 年 7 月 5 日
  • 日記
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3月末でXの利用を止めて三ヶ月が経過しました。あまり多くはないDMのやり取りもFacebookやLINEに移行出来たので、Xのアカウントを削除しました。

X(Twitter)は内輪の中にいると依存度が高くなる

自分は2012年ぐらいからTwitterを使い始めて、最初の数年はFacebookの方が利用頻度が高かったのです。しかし2014年ぐらいから2024年の3月までの10年間はX(Twitter)が一番メインのSNSでした。かなりアクティブに呟いていて、このBlogをほったらかしにしてしまうぐらいにハマってました。

しかし、2020年の夏に東京から新潟に移住したことで、自分の趣味、興味、価値観などが徐々に変わっていきました。タイムラインでの繋がっている相手は殆どが関東在住ですから、その地理的な共通点がなくなってしまいます。また自転車で長距離を走るブルベという趣味についても、出走するイベントそのものが変わってきます。となると、こちらもまたブルベ出走というくくりでの人とのつながりが希薄になってきます。

Xの人間関係は匿名中心ではあるのものの、趣味や済んでいる地域、自分が属している社会的な立場などの共通項で繋がっていくと、それが非常に身近に感じられるSNSです。何かしらの共通項で一度、他の人と繋がってしまうと、その相手が最近どんなことをしているのか?というところも把握出来てしまいます。これがキッカケで「○○さんが近くに来ているっぽい」という所から、リアルで挨拶したりするところに発展する、というのが発生すると「Xって凄い!」とすっかり虜になってしまいます。

これが自転車で出かけることが多かったり、同じイベントを走ったりするブルベを走るようなヘンタイ自転車乗りとの相性が最高でした。自分が走っていて苦しい時に、前後の知り合いがいないか?をチェックしたり、家の近くを知り合いが通ることが分かったら応援に行くためのツールとして欠かせなかったのです。

上の写真は、皇居周辺で週末にパレスサイクリングという自転車歩行天国みたいなのが開催される時、広場に自転車持って集まって、ブルベに出走している自転車の装備を参考にしたり、ペダルを交換してお互いの自転車を試乗しようぜ~って声を掛けて集まったものです。ほぼSNSでの告知だけで人が集まったのです。Xって最高だぜ、と真剣に思ってました。

このような内輪の輪の中にいると、こんなに便利なコミュニケーションツールはありません。LINEはリアルで会った事のない人を友達登録するのが難しいですし、Facebookは情報共有の即時性でXに劣ります。この匿名だけど緩い繋がりで即時性がある、というのがXの居心地の良さと依存度の高さなのです。

しかし、内輪の枠から外れてしまうとどうなるか?

自分は2020年の夏に東京から新潟に移住したことで、関東在住で自転車ばっかり乗っていてブルベに出走する会社員 から 新潟在住で自転車はたしなむ程度に乗るだけのフルリモート勤務の自営業 に属性が変わりました。

オーバーナイトで走る長距離ブルベはやや危険を伴う趣味です。もし事故で体を壊しても治る怪我であれば、会社員なら失職は免れます。しかし、フリーランスでは失職して路頭に迷うことになります。それから地方ではブルベの開催が少ないので、自分はブルベからはほぼ引退しました。でも、ブルベ出走してたころからの交友を続けている人も数名いますけどね。

話を元に戻しまして、私のアカウントのXでの人間関係の繋がりは「東京、自転車、仕事」を共通項としていたのです。この繋がりの共通項が、新潟移住後に変わってしまったのです。これまでなら「週末に伊豆まで走りに行こうかなぁ」という話に対して情報交換したり、同じブルベに出走してる知り合いとXでお互いを励ましあったりということが全く無くなりました。

今の自分は会社員でもないし、東京での辛い通勤ラッシュもからも解放されたので、そういう話題の輪にも入れません。何百人もの相互フォロワーがいる状態でしたから、それまで依存度が高かっただけに疎外感も非常に大きかったです。正直、いきなり蚊帳の外に置かれる感じになって少しノイローゼになりました。

一度アカウントをリセットする

2021年ぐらいのTwitterとの付き合い方についてを振り返ってみます。

東京在住時代に繋がった人の呟きのやり取りに疎外感を感じ、以前ならストレスを感じなかった発言にイライラしたので、そういう発言をする人をミュートして見ないようにしてました。これに新潟移住で新たに繋がった人達とのやり取りが加わって混沌とした状態だったのです。在宅勤務だったこともあり、Twitterのタイムラインに生息しているんじゃないか?というぐらいにTwitterでのやり取りに一喜一憂してストレスを貯めていたのです。

自分の行動はだいたいタイムラインに呟いてましたし、毎日のように何かを撮影して共有していました。楽しいはずなのに疲れ切ってしまいまして、一度それまで使っていたアカウントを消すことでリセットすることにしました。

それでTwitterから一時離れまして、そして完全に新しいアカウントを作って数週間後に復活しました。フォローする人は現在の自分の属性と共通項があったり、やり取りにストレスを感じない人だけに絞りました。これでストレスを感じない新しいTwitter生活をスタートさせたのです。東京在住時には共通項があって繋がっていたけど、現在は共通項がなくなった人との関係を切るだけで、随分とタイムラインから受けるストレスが減ったのです。

Xの問題点は繋がりのリセットが難しいこと

しかし、その快適だったはずの新しいアカウントでのTwitter生活だったのですが、サービス名がXに変わり表示アルゴリズムが変化しました。とにかくPVを稼ぐためのゴミみたいな情報の拡散が増えてきました。そして気がついたら、いつの間にかXでタイムラインを見るたびにストレスを受ける、という以前と同じ状態になっていることに気がつきました。

これは前述のようなノイズが増えたこともあるのですが、もう一つ思い当たることが落合さんのギネスチャレンジの時に色々と情報発信するために新しいアカウントで呟いたのです。しかし、これが裏目に出まして、一度断ち切ったはずの過去に共通項のあった人達と再び繋がってしまったことで、以前のアカウントと同じ状態になってしまったのでした。

このときは過去の懐かしさもありまして、かつての顔見知りから「久しぶりです」ってフォローされると、素直に嬉しいわけですよ。なのでフォロー返しをして相互フォロー状態になりました。

顔見知りではあったけど、現在の私は東京近郊で働いているわけでもなく、週末に同じブルベを走る事も無いですから、どこか再び繋がった人に挨拶する機会もありません。非常に残念なことに、アカウントをリセットする前に感じていた疎外感を再び感じることになりました。相手が悪いというわけではなく、現在、その人と自分に接点がないため、相手に対して興味が持てずに返信するのが面倒だな~と、私が勝手に心苦しくなっていたのです。

今のXの仕様では相互フォロー状態になってしまうと、こちらがフォローを外しても相手がフォローしている限り、おすすめや通知に相手の投稿が流れてきたりします。また相互フォローしている相手に対して、こちらがフォローを外したら相手が気を悪くしないか?というのも気になってました。

自分がフォローを外したり、相手をミュートしたりブロックする行動に出るときは相手に悪く思われても構わないぐらい我慢できない時なのです。単なるSNSなのに申し訳なさや疎外感を感じたりするのは、なんか間違っていると思うんです。リアルな人間の付き合いではないSNSで、なんでこんなに消耗しているのだろう?と考えたら、全てが虚しくなりました。典型的なSNS疲れだと思います。

アカウントは消さずにXを見なければよいのでは?

そしてBlog復活時に書いたように、2024年3月末に突然Xを見るのを止めました。当初は心配してDMを送ってくれたり、他の連絡先を教えて欲しいというメッセージが少しだけ来ました。しばらくして私への連絡でXのDMが来ることはなくなり、LINEやFacebookメッセージで来るようになりました。そして現時点でXでしか私に連絡取れない人は、多分もう連絡してこないだろうと判断しました。

それでもXのアカウントは連絡用に残しておこう、と思っていたのです。PCブラウザやタブレットでXは見ないように全てログアウトして、愛用のスマートフォンにアプリでしかXは見ないことにしました。しかとXのアプリの通知は切って、アイコンもホーム画面から退場いただいて気軽にアプリを起動しないようにしていたのです。

なのでらたまにXのアプリを起動して、連絡がきてないか?をたまにチェックしていました。まぁ、ここ1ヶ月は一件もDMは来てませんでした。このDMのチェック時に、Xアプリが未練がましく通知のバッジを表示してくるのですよ。たまに気まぐれで通知の中身を開くのですが、「ああ、見たくなかったなぁ、この情報は」という呟きが、たまに目に入るのです。

考え方などや境遇などが自分と違いすぎて、自分には受入られない発言をする人が何人かタイムラインに居ました。フォローを外しているのに、なぜかXでは目に入ってしまって嫌な気持ちになりました。その発言自体の内容が公序良俗に反するわけでないのですが、自分の境遇とつい比べてしまって、自分が勝手に落ち込んでしまうのです。

そういう人と過去には何かしらの接点があって、SNSで繋がっているのです。Facebookでは不思議と自分が不快になる書き込みに出くわしません。やはり実名発信というところで、あまり自分の気持ちをストレートに表現する人が少ないからなのでしょう。自分がストレスを感じる書き込み自体に問題があるわけではないのに不快になってしまうんです。このとき、自分の人間の器が小さいのでは?私がおかしいのかな?と自己嫌悪してしまうのです。

人とのつながり方を定期的に見直す

そんなことが何件か続いて嫌になり、もうXで連絡してくる人も居ないからXから完全に離れるためにアカウントも消しても問題ないと思いました。別に関係を切りたくない人もたくさんいるんですが、個別に考えることに疲れました。ゴミの分別をやめて、まとめて処理した感覚です。

これまでの人生を振り返ってみると、自分は人間関係を定期的にリセットして生きてきました。それまで仲良くしていた人との縁が、様々な理由で切れたりして、そこからまた新しい人間関係を作ることの繰り返しなのです。

とはいえ、若い頃から変わらずに付き合いが継続している人間も何人もいますし、距離が離れていても関係なく行き来している関係の友達もいます。逆にコロナ禍で疎遠になったことで、以前は毎週のように遊んでいたけど、今は全く会わなくなった人もいます。

井伏鱒二の訳詩で「さよならだけが人生だ」という有名なフレーズがありますが、自分はこの考えが好きです。なんか別れを経験した方が、人間的に成長できるような気がしますし、新しい出会いが待っているワクワク感もあります。人の興味や趣味や価値観などは変わっていくのですから、どんなに仲良くしていても、何かをキッカケに別れはやってくるのです。

これに追加して2024年になって目指しているのが孤独を恐れない、ということなのです。最近はそれを補強するような本を色々と読んでいます。


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その中の一冊が上記の孤独こそ最高の老後という本です。内容的に賛否両論はありまして、人と多くの関わりを持ちながら老境を迎えるのが最高に幸せという価値観と正反対の内容が多いです。

今の自分の現状からすると、多くの家族・友人に支えられ見守られて亡くなる、という老後より、この本に書いてあるような孤独を受け入れて有意義な老後を目指すという方が、今の生活の延長としては現実的だと思うんです。

万人にお勧め出来るような本ではないのですが、自分の耳障りの良い情報に接していないと不安になるネットに対して、やや耳の痛いことでも進んで情報に接したくなるのが書籍です。あと最近、電子版ですが新聞を読むことも再開するようになって、自分でもビックリしている毎日なのです。

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